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2014/01/27

賢治の生原稿

古本屋で、文学全集「高村光太郎・宮沢賢治」集。昭和五十年八版を見つけた。この一九七五年に出された本の「銀河鉄道の夜」。見ると驚く。物語は最終形の「午後の授業」で始まるが、天気輪の柱の丘に行き、星がいくつにも分裂したあと、列車に乗らず、「最終形」状態で目が覚める。そしてカンパネルラの溺死の川で、牛乳を持って走る。ここが最終形の終わりだが、そこからが凄い。
 

・・・もう一目散に河原を街の方へ走りました。(ここが最終形の終わり)
 『けれどもまたその中にジョバンニの目には涙が一杯になって来ました。
街燈や飾り窓や色々のあかりがぼんやりと夢のように見えるだけになって、いったいじぶんがどこを走っているのか、どこへ行くのかすらわからなくなって走り続けました。
 そしていつかひとりでにさっきの牧場のうしろを通って、また丘の頂に来て天気輪の柱や天の川をうるんだ目でぼんやり見つめながら座っていました。汽車の音が遠くからきこえて来て、だんだん高くなりまた低くなって行きました。
その音をきいているうちに、汽車と同じ調子のセロのような声でたれかが唄っているような気持ちがしてきました。
 それはなつかしい星めぐりの歌をくりかえしくりかえし歌っているにちがいありませんでした。
ジョバンニはうっとりそれを聞きいっておりました。』
六銀河ステーション
そしてジョバンニはいつかすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって・・・

こうして物語は初期形の黒い帽子とブルカニロ博士の登場する物語になっていく。『』で囲った文章を読んだことのある人は少ないと思う。私が二十歳で読んだ文庫本には無い。こうした文章の存在を教えてくれたのは、八三年の打ち合わせでの天沢さんだが、九十年代に出た、現存する生原稿を複写してまとめた本でも、この生原稿は載っていない。どうやら、「銀河鉄道の夜」が本になる作業のなかで、ある時期に「消えた」のだ。普通に考えれば、編集者が編集していく作業のなかで、「紛失」したのか?あるいはたぶん賢治による削除線などがあると想像されるので、「私物化したのか。とにかく、賢治の死後も、存在していたこの原稿は、現在行方不明なのだ。
 それにしても、なんと味わい深い文章だろう。そして賢治はいったいどの位置にこの稿入れたのだろう?。これを考えるだけで、あの物語は新しいかがやきを見せてくれる。私が思うには、ブルカニロ博士に金貨をもらい丘を下ったあと。初期形ではここで終わるが、賢治はそのあとに、この文章を一度加えていたのだろうか。

以上、朝の七時、バルサ対マラガ、二点目で安心して書きこみました。